”生き物”が大好きな子がいる。
昆虫も、魚も、もちろん犬も猫も、とにかく大好きという子がいる。
そんな子のある出来事・・・
幼稚園の年長さんのAちゃんの夢は”獣医さん”
そんなAちゃんに先日会ったところ右手に包帯が巻かれていた。
「どうしたの?」と聞くと「踏まれちゃったの」と驚きの答え。
誰に?どこで?なんで?と反射的に頭によぎったので、すぐに聞き返してみた。
「蝉さんがいたから・・・」
・・・正直、ちんぷんかんぷんの返答だったのだが、詳しく聞くとすごい出来事。
今時期は”蝉”が地面に落ちているのをよく見かける。
時期も時期だけにラストスパートをかけて力尽きた蝉の亡き骸だ。
生きているかのような姿のまま転がる蝉も、ぺしゃんこに潰れている蝉もいる。
そんな蝉をAちゃんは拾っている時の事故だったのだ。
その蝉もおそらく死んでしまった蝉だったとは思うのだが、Aちゃんにとっては
生きている、死んでるということよりも、蝉が踏まれるという状況に反応した行動。
守ろうとしたAちゃんの気持ちがそうさせたのだと思う。
Aちゃんの手を踏んでしまったのは見知らぬおじさんだったらしく、現場は曲がり角
しゃがんでいたAちゃんも蝉も視界に入らずおきた事故だった。
当然ながらおじさんもAちゃんの手を踏むつもりはなかったはずだが
Aちゃんが手を出さなかったら蝉はぺしゃんこになっていただろう。
亡き骸でも蝉を守ったAちゃんの勇気も、 不幸中の幸いですんだが危ない事故だった!
ということも意識しなければならない出来事だと感じた。
そもそもなぜ蝉を集めていたのかと聞くと・・・「お墓を作るから」との答えが返ってきた。
私も蝉の亡き骸をわざわざ踏む!という行為は絶対にしないが、Aちゃんのような行動をとるかといえば・・・
答えは「NO」だろう。
生き物=命に対する優先順位も価値感も人それぞれの考えがある。
たかが蝉・・・という見方もあるが、犬猫だったらとっさに”かばう行動”をとる人も増えると思う。
体温や呼吸を感じるからか、表情があるからなのか、姿形でなのか・・・?
どこ基準で行動が別れるのかはわからないが、少なくともAちゃんは蝉も犬も猫も
他と変わらぬ命としての意識が高いのだろう。
チビッ子は生き物を”擬人化”して見ているのかな?なんて思うことが多々ある。
この蝉の出来事もAちゃんは”蝉”ではなく”蝉さん”として見ていたのかなぁ・・・なんて。
現実的なことを言えば”奥さん”を大切に!(笑)だが、擬人化眼鏡たるものがあるとすれば
大人の今の感覚のまま是非とものぞいてみたい。