きっかけ・・・

例えばお絵描き、例えばお料理、例えばスポーツ等など
物事にハマる”きっかけ”は・・・
 
 
「喜びを得られるか否か」
 
 
誰でも、何でも、上手く出来たら嬉しいし、少なからず
調子にのってしまうもので、初体験の出来にか・な・り
左右されるかとも思う。
 
お絵描きに限定して書き進めると、「絵を描くのは苦手」
でも、「描けたらな・・・」みたいな人は意外に居る。
 
どんな時に、「描けたら良いな・・・」と思うか考えると
”人とのコミュニケーション”の時が一番かと。
 
お絵描きは必ずしも”子供の遊び”ということはなくて
社会においてもちょっとした絵を描けるとこれもまた
コミュニケーション等が取りやすいことがある。
 
 
 5歳以上~教材未満
 
 
 
「学び」より「遊び」の要素を多く取り入れ
これに関しては技術やセンスは取っ払った気楽な
内容でカタチしたい.
 
 
つくる」 ハマる」



そんな”きっかけ”をつくりたいと考えてます。

通園から三か月・・・

現在1歳3か月の息子が保育園に入園して三カ月。
日に日に逞しくなる息子に驚く毎日。

子供は喜怒哀楽すべてが全力だから
親も全力で挑まないと負けちゃう・・・

なのだから、育児が大変なのは当然。

だけども、心からの感動を沢山くれるわけで
やめられない、とまらない・・・

「育児最高!」

子が喜べば親は無条件に嬉しいわけで、力の源の一つ。
仕事で疲れ、時に育児で癒され・・・そんな毎日。

安心を得るために今日も頑張ろう。

美術の学び舎に思う・・・

制作を学ぶ現場に行くと「個性」や「感性」というワードをよく耳にする。
生徒さんだけではなく、先生からも。

「コレが成功するカギ!」だと錯覚するくらい。

が、その素晴らしい「感性」も、ぶっとんだ「個性」も何もかも
人に伝わり初めて意味をなす素晴らしいモノ。

作る時間より、伝える方法を考える時間をもたせる方が
プロとして将来生きていくのならば絶対的。

作品に”評価”や”価値”を与えるのは他人。

共有・共感を得られない限り”それら”はもらえない。
卒業し次に待つ世界は社会。

社会で生き抜く為の重要な準備期間でもある最後の学校環境で
「生きるために作る!」という意識を持たせてあげるのは大切では?

「馬鹿」か「天才」かの紙一重を狙っていて良いはずない。
己の可能性、ビジネスの在り方は知っておくべきだと思う。

例えば”お絵描き”なら好き勝手に描くべきであるとしても
職業”絵描き”となれば次元の違う話になる。

芸術・美術は自由だ!と謳っている場面を目にも耳にもする。
自由かもしれない、が”自由”と”好き勝手”は全く違うこと。

「自由」こそ難しく、孤独なもの。

「技術」も「知識」も学べる環境を望んでいる子は多いと感じている。
両方をそれぞれなりに得て初めて社会で勝負が出来るようになる。

何人の人が美術の学び舎を出て明確な「目的」を持ち旅立っているのか?

KUMAに何が出来るか・・・まだ少し不透明でありもどかしいが
本気の人と共に前進したいと本気で強く思っている。

どんな業種であれ、社会で生きていくことは本当に大変。

新学期が始まって・・・

まだまだ心身ともに休まる日はないながらも
各地で新学期は始まり、子供達だって頑張っている。

そんな息子も4月より保育園児になり、送り迎えでは
まだ泣いてしまうが、新たな環境で日々頑張っている。

しかし、頑張りすぎて熱を出してしまいました。。。

頑張ったら休んで、休んだらまた頑張って・・・
このバランスが崩れれば誰もが壊れる。

「ほどほどに」

すっごい難しいことだと思いますが
すっごい大切なことだと思います。

何事もほどほどに・・・。

自粛自粛自粛・・・

経験したことない今のこの日本の雰囲気・・・。
錯乱する情報に惑わされ、物事悪循環なのはどうなのか。

日々流れるCM、映像等々はマインドコントロールされかねない頻度。
見えない放射能と同じく、真っ白い子供達には何かしら影響がアリ。

意味分からずして使っていたと思われるが「想定外」と口にしていた
小さな子供がいた・・・本気で笑えない現実。

今日で発生から一カ月。

誰もが突き詰めれば欲しいモノは”安心”だと考える。
その”カタチ”は人それぞれではありながらも。

自粛・・・その”自粛”で人は笑顔になるのか疑問。

時に誤解を招いたとしても、無難の自粛よりも
”ながらの行動”だと強く思う。

やるべきことをやる。