美術の学び舎に思う・・・

制作を学ぶ現場に行くと「個性」や「感性」というワードをよく耳にする。
生徒さんだけではなく、先生からも。

「コレが成功するカギ!」だと錯覚するくらい。

が、その素晴らしい「感性」も、ぶっとんだ「個性」も何もかも
人に伝わり初めて意味をなす素晴らしいモノ。

作る時間より、伝える方法を考える時間をもたせる方が
プロとして将来生きていくのならば絶対的。

作品に”評価”や”価値”を与えるのは他人。

共有・共感を得られない限り”それら”はもらえない。
卒業し次に待つ世界は社会。

社会で生き抜く為の重要な準備期間でもある最後の学校環境で
「生きるために作る!」という意識を持たせてあげるのは大切では?

「馬鹿」か「天才」かの紙一重を狙っていて良いはずない。
己の可能性、ビジネスの在り方は知っておくべきだと思う。

例えば”お絵描き”なら好き勝手に描くべきであるとしても
職業”絵描き”となれば次元の違う話になる。

芸術・美術は自由だ!と謳っている場面を目にも耳にもする。
自由かもしれない、が”自由”と”好き勝手”は全く違うこと。

「自由」こそ難しく、孤独なもの。

「技術」も「知識」も学べる環境を望んでいる子は多いと感じている。
両方をそれぞれなりに得て初めて社会で勝負が出来るようになる。

何人の人が美術の学び舎を出て明確な「目的」を持ち旅立っているのか?

KUMAに何が出来るか・・・まだ少し不透明でありもどかしいが
本気の人と共に前進したいと本気で強く思っている。

どんな業種であれ、社会で生きていくことは本当に大変。